脚トレ問題 その②

こんにちわ!パーソナルジム、レグネス4H新潟弁天橋店です!

 

本日は前回のブログに引き続きまして、脚トレ問題についてです。前回は脚トレをしない人たちの意見をまとめていきました。今回は脚トレをする派の意見を見ていきます。

 

 

○する派の意見

 

・脚に魅力を感じている

脚トレをする人達は、やはり脚の筋肉に魅力を感じているのは言うまでもありません。

まるで大木のように太く、海よりも深く刻み込まれた込まれたカット、シルクのようにきめ細かいストリエーション。これらすべてを脚トレをしているビルダー達は常に追い求め、どんなことよりもキツい脚トレをするのです。

理想を追い求めるのに、脚トレの過酷さはには屈しないのです。

 

 

・終わったあとの解放感、達成感

過酷な脚トレを終えたあとというのは物凄い達成感と解放感を味わうことができます。理由は簡単。なぜなら物凄くキツいから。

脚トレをしているとき、スクワットなんかは1レップ1レップがとても長く感じます。端から見ればたった10回のスクワットでしょ?と思うかもしれませんが、やっている側からしたらその10回というのはたどり着くまでかなりの忍耐が必要となってきます。

5回目辺りからもうかなりシンドイ、そこから更に3回、もう潰れそう、更に1回、脚がもげてしまいそう、そしてラスト!そのセットが終ればパワーラックに膝から崩れます。これでようやく1セット。

トレーニングは1種目最低3セット行う人が多いので、これを更に2セット、プラス数種目行うのです。それらをすべて耐え、やりきったあとの達成感と解放感ときたらそれはもうたまったものではありません。

その気持ちよさときたらもはやドラッグに等しいのでは無いかと、時に思ったりもします。脚トレ、それはドラッグにもなりうると。

 

 

・楽しい

これは脚トレを行っている人のなかでも少数派かもしれませんが、なにより脚トレが楽しいから。先程も書きましたが終わったあとの中毒的達成感、それに加え、脚トレをしているときの脚が燃えるような感覚、脚に血が巡り流れ込んでくるような感覚、限界まで果てることができるというドM精神。

これらそれぞれが一部の人達にとっては快感であり楽しさであるのです。端から見たら変態にも近そうですね。

脚トレする派ですら脚の日というのは億劫だと言う人は多いと思います。そういった意見の中、脚トレがしたくてたまらないというのはやはり狂気にも似た何かを感じます。因みに筆者は変態側の人間になります。

 

 

・重いのを持てるのが楽しい

これは脚トレに限ったことではないですが、やはり重量を扱えるというのは楽しいものです。

前の自分より今日はより重たいものを持とう。そうやって持てたときの嬉しさなんかは脚トレを行うモチベーションへと繋がります。

個人的にスクワットは扱える重量の向上を感じやすいので、なお重さに対するモチベーションというのが高くなる気がします。

 

 

○結局脚トレするべき?

ここまで前回も含め脚トレをする派としない派の意見を見てきました。

トレーニング界では結構脚トレをしない人を下に見たりする傾向があります。ですが、トレーニングというのは極論、自己満の世界になってきまうので、脚トレをしないだけで批難されてしまうのは違う気がします。

自分のなりたいからだを追い求めるのがトレーニングです。人それぞれ追い求める理想と言うものは違います。脚がスラッとしている方がカッコいい、美しいと感じる方もいますし、がっしりとした下半身がカッコいいと思う人もいます。人それぞれなのです。

だから自分の主張を相手に押し付け、脚が細いからダサいとか見下す発言をするのはあまり思わしくないです。

なのでしたい人はする!したくない人はしない!でいいと思います。結果、好きなようにトレーニングするのが一番なのです。

 

 

以上が脚トレ問題でした。脚トレするべき!のような論争が起きているのを時折みかけます。私も脚トレは好きですし脚トレの恩恵を受けているので脚トレはした方がいいと思います。

ですがそれをいやがる人に無理やり押し付けたりするのは、お門違いのような気がします。なのでそれぞれ自由な考えを持ち、自由にトレーニングするのがトレーニングの継続にもいいと思います。

なにより継続が大事ですから。キツくてトレーニング自体辞めてしまっては元も子もないです。自分がやり易い程度で行いましょう。ではまた。

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